電気療法 -自己紹介&電気療法との出会いー

電気療法部門
大阪療術研修所 電気療法を担当します。

 

―自己紹介-
藤井 英之
奈良県天理市在住
平成6年 各種電気療法/藤井療術院開業
大阪府療術師会所属
(一財)全国療術研究財団 電気療法講師
私と電気療法の出会いから療術師になるまでの過程を記したいと思います。

1.電気との遭遇

電気と認識しての遭遇は、銭湯の電気風呂です。電気風呂のイメージがビリビリして怖いものだと思っていたので、けっして湯舟には近寄らなかったです。小学校3年生の頃、友人と銭湯で遊んでいて、何かのはずみで電気風呂の湯舟にドッボーン!!
腕の筋肉がビリビリとして硬直。筋攣縮(きんれんしゅく)の状態になり、「腕がビリビリ震える。なんと面白い!」っと思って、それから以降、銭湯に行くたびに電気風呂でビリビリ感を楽しむようになっていました。

電極板に手を付けて指の硬直、背中に近づけて上半身の硬直し、両腕までビリビリくる刺激が快感。最も危険だったのは、下腿部を電極板に近づけたとき両足下腿部のこむら返り。。。溺れかけて死にそうな目にあいました。それ以降、少しだけ電気が怖くなりました。そして、自宅にもお風呂ができて銭湯にもいかなくなりました。

2.電気療法との出会いのきっかけ

高校三年生の春。お酒屋さんの配達のバイトをしていた時、いつものようにビールケースを単車に乗せて配達。交差点で無理やり右折してきた車と衝突!まあ、7メートルぐらいは吹っ飛んでいきました。

病院に搬送されレントゲン検査等を受けたのですが、結果は全身打撲。幸い頭は打ってなかったので意識ははっきりしていました。その日は、痛みは少しあったのですが帰宅。でも、翌日から全身が痛くて痛くて病院へ。(今考えれば衝突後の興奮状態で痛みは感じなかったんですね。落ち着きを取り戻してから痛みが増幅)
痛みを訴えても傷の消毒とシップだけ!! 「痛いやん!!このままだと永遠に痛みが消えないかも」と思いました。

3.電気療法との出会い

私の地域周辺の昭和50年代当時は、病院や施術所などは暗い雰囲気でした。その中で新しく開業したての、燦々と輝く感じの施術所に引き込まれるように入っていきました。そこで、受付にて 「交通事故に遭い 首や背中・腰足等全身が痛くて」と訴え、それから視診・触診等の診察を受け施術ベットへ。首や背中・膝などに何かを張り付けられて、院長が「今から電気を流します」と。。。

初めての低周波治療器での通電。あの電気風呂での記憶が蘇りました。「なんと気持ちのいい トントントンとビリビリびりの交互の刺激 人生最高の快感」世の中でこんな機械があるなんて初めて知った瞬間でした。それから週3回程度・数か月間通院をしている中で、私もこの仕事がしたいなと気持ちが芽生えてきました。何と言っても「この低周波と離れたくない」の気持ちが一杯になりました。

高校三年生の10月に院長に弟子入りを志願。11月から夕方のみ施術所のお手伝い。(低周波の通電やホットパックの管理や雑用等々)高校卒業と同時に正式に雇用していただき、体の触り方、疾患の鑑別、固定術やテーピング等を徹底的に教えられ、2年目からは一人二人と徐々に患者さんを任せてもらいました。

3年目からは新患も任せていただきましたが、判断ミスや過度の施術での失敗等々をその場でフォローしていただき、5年目を迎えるころは施術所を回す役割になっていました。その頃に独立開業が夢となり、7年目に独立開業を目標とし、業者が開催する展示会・1日セミナー等に頻繁に足を運び自分のスタイルに合った施術を模索していました。

4.療術との出会い

付き合っていた彼女(現:嫁)の母親に京都三条にある施術所を紹介され、そこで出会ったのが「竹尾式イオン療法」。手作り感満載の昭和初期!という印象。実際に施術を受けてみると「なんと心地の良い温熱と電気刺激とのミックス」これや!温故知新。最新の電気療法器と竹尾式イオン療法器との組み合わせ。

竹尾式本部がある枚方へ。竹尾式の会長兼医師である竹尾信男先生と出会い、竹尾式イオン療法の手ほどきを受けました。その時に竹尾先生から「最低限、大阪療術の研修を受けてください。私の嫁も大阪療術の研修を受けて竹尾式イオン療法を行っています」
迷わず、16期生研修生として入所致しました。カイロ手技担当講師:倉津先生に出会い手技の様々なテクニックに魅了されました。カイロ手技のテクニックだけではなく電気治療器にも精通しておられ、電気療法や治療について色々会話するようになり、いつの間にか電気療法講師・大阪府療術師会の役員等に。。。。。そして現在に至ります。

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